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エンターテイメントとしての側面を持つプロスポーツ。しかし文化として根ざすことができているものもある。その1つに相撲があげられる。相撲は関わるすべての人間がお互いに尊敬しあうこと存在することができている。

相撲の行司は何故力士からも尊敬されるのか。それは行司や呼び出しさんは土俵を作ったり番付表を書いたり色々と見えないところで力士が活躍できるよう、かなり多くの裏方をやってくれているから。力士もまた、土俵上で行われたことの結果を尊重する。それは行司への尊敬だけではなく、相撲への敬意がある。行司に対して土俵上で力士が唾を飛ばしながら抗議すれば、勝敗の結果は別として土俵が汚される。

今のJリーグはどうだろうか。誤審の確率が年々高まっている。審判側において選手に対して壁が更に高まっていて「取り締まり」の様相を呈している部分もある。一方で選手側にも「日本の審判あほや」の雰囲気もある。お互いの信頼関係のなさが、見ているサポーターやファンにとって満足のできない試合内容になるということを、双方はどう考えているのだろう。結果に抗議する姿が増えれば増えるほど、その試合は低俗なものになってくる。

相撲は神事であり相撲そのものを汚さないということを行司も力士も関係者も意識している。では、Jリーグはどうか?どれだけの審判、監督コーチ、選手がJリーグの存在価値を高めようとして、共通理念をもっているのか。色々と綺麗な言葉の理念がJリーグにはあるが、日本人が大事にしたいものを含み、ピッチ上の出来事を大事に、大切にしたいという気持ちがあるのだろうか。

歴史が20年もあるのか、20年しかないのか。私は後者だと考える。Jリーグやサッカー協会は選手や審判という役割を担う人材は育ててきたが、「人」を育ててこなかった。川淵三郎が支配している利権世界のなかであれば当然ながら人は育たないが、川淵の光と闇の後者にこれはあげられる1つの事項だと思う。

そんな川淵が今、日本のバスケット業界に関わり始めている。新リーグの基準は5000人規模の会場など、また先行きがきつくなるプランを披露しはじめている。そろそろ「最後は地元任せ」の打ち上げ花火はやめたらどうだろうか。五輪のための新リーグは五輪後のための新リーグではないのは誰もがわかってるのだから。

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